ママさんバスケット
まだ若かりし30代前半に町内でママさんバスケット同好会を始めた 
バスケを好きなママが集まり、楽しく思いっきり汗を流し、本音で語り合った5年間
母となってから、○○ちゃんのママと呼ばれ、子どもからの視線でしか見てもらえなかったが
私自身と付き合ってもらえる友達ができて本当に嬉しかった
親睦会という名目で、皆でカラオケに行ったり、飲みに行ったりと思いっきり遊んだ
練習もかなり本格的に週2日びっちり2時間して、休日は他チームと練習試合。
最後には市内の大会で優勝を飾ることもできた
でも悲しきかな、転勤族の多い昨今、5年のうちに12人いた仲間が、地元の4人に減ってしまい続行不可能になり解散
楽しい思い出の日々
本当に大好きなバスケットを楽しむことができた
私の高校時代のバスケットは、楽しいなんて言ってられない勝つための厳しい訓練だった
だから、つらい思い出ばかり・・・
優勝しても、勝ち方が悪いとぶたれ涙していた
「おまえはダメだ!ベンチ温め役や!いったいどんなつもりでレギュラーしてるんや!」
「へたくそ! へたくそ! それでもレギュラーのつもりか!もう帰れ!」
シュートミスをしようものなら、頬を平手打ち バシッ バシッと 往復ピンタ
今の時代では考えられない体罰 スパルタ主義
もう30年も昔、1970年代の半ば
この年齢になってあ~コーチも必死だったんだなぁって振りかえれるけれど・・・
まだ一番傷つきやすい高校生だもん 「私なんてもう必要ないんだよ」と涙した日々
何のためにしているのかわからなくなり、もう辞めたいと思い詰めたこともあった
しかし、特待生としてこの高校に入学した私は、バスケを辞めるということは退学を意味する
中学生の時にバスケットの強い私立高校から勧誘され授業料免除で入学した私
ある時スランプ状態から抜け出せず、精神的にボロボロになりもう辞めたいとママンに泣きついた
ママンはコーチに、私がどれだけコーチの言葉に傷ついているか、
続ける自信をなくしているかを代弁してくれた
コーチは、「期待しているから言葉がきつくなった。才能をもっと伸ばしたいから
他の子より厳しくしていた」と
「でも、もうしたくない 辞めたいと思わせる程の厳しさはいかがなものか
娘は 今まで 弱音を吐かないし何にも言わなかったけど ここまで追いつめられて
よっぽど辛かったんやと思います」
と我がママンは言っちゃってくれたよ
しかし辞めるつもりで春休みを迎えた時、一緒にバスケットをしている仲間に毎日毎日
「頑張ろうよ~ 最後まで一緒にしようよ! お願い 」と皆に泣きながら説得され、
どうしても皆を裏切って辞めてしまう事ができなかった私
<もうどうでもいいや!ベンチ温め役でもなんでも友達が大事や コーチに何をいわれても
仲間とともに最後まで続けてみよう>と開き直った
それからも、厳しい訓練と叱咤、叱責
おかげでインターハイ出場もできた。私も近畿大会で5人しか貰えない優秀選手賞を頂けた
実業団やバスケットの強い大学から勧誘があった
でももう二度とバスケットはしないと決めた私は断った
私の過去の栄光はただの結果に過ぎない
あんなに好きだったバスケットはもう二度としたくないと思うようになってしまった
そして、親の薦めもあり医療の道を選んだ
そんな私だったのに、15年の時が流れ、とても楽しいと思えるバスケットを、
イイ仲間とともに出来たことが嬉しい
たった5年の日々だったけれど充実していた
今も地元に残っている仲間とは、時々ランチや、飲みに行ったりしてる
転勤族の人たちともメールや年賀状でお互いの近況報告等をしながら、会える日を
心待ちにしている
でも、高校時代が私にとって無駄ではなかったと思える今日この頃
皆が遊んでいるとき、あれだけ厳しい練習に頑張れたという自分がいたのは事実
若い時に、努力とか忍耐とかってなかなかできるもんじゃない
この頃の自分を褒めてやりたいと思う、今の自分
よく頑張ったね! それがその後の人生にとても役だってるんだよ
辛いとき、悲しいときにその頃の私を思い出し、頑張れるバネとなったんだよ
そして、こんなに図太い(身体も)私になりにけり・・・
ちょっとやそっとではへこたれん私。 人生色々ありますわ
これからの人生もなにがあるかわからない
でも今が幸せと思える私
私にかかわる、すべての人に感謝です
”人生に 無駄な苦労は なにもない”
悩みがないことが 幸福ではない
どんな悩みにも負けないことが 幸福なのである
自分だけの幸福ではない
人を幸福にできる人が
本当の幸福者なのである
(私の尊敬する師の詩)

バスケを好きなママが集まり、楽しく思いっきり汗を流し、本音で語り合った5年間
母となってから、○○ちゃんのママと呼ばれ、子どもからの視線でしか見てもらえなかったが
私自身と付き合ってもらえる友達ができて本当に嬉しかった

親睦会という名目で、皆でカラオケに行ったり、飲みに行ったりと思いっきり遊んだ
練習もかなり本格的に週2日びっちり2時間して、休日は他チームと練習試合。
最後には市内の大会で優勝を飾ることもできた

でも悲しきかな、転勤族の多い昨今、5年のうちに12人いた仲間が、地元の4人に減ってしまい続行不可能になり解散

楽しい思い出の日々

私の高校時代のバスケットは、楽しいなんて言ってられない勝つための厳しい訓練だった
だから、つらい思い出ばかり・・・
優勝しても、勝ち方が悪いとぶたれ涙していた

「おまえはダメだ!ベンチ温め役や!いったいどんなつもりでレギュラーしてるんや!」
「へたくそ! へたくそ! それでもレギュラーのつもりか!もう帰れ!」
シュートミスをしようものなら、頬を平手打ち バシッ バシッと 往復ピンタ
今の時代では考えられない体罰 スパルタ主義

もう30年も昔、1970年代の半ば

この年齢になってあ~コーチも必死だったんだなぁって振りかえれるけれど・・・

まだ一番傷つきやすい高校生だもん 「私なんてもう必要ないんだよ」と涙した日々

何のためにしているのかわからなくなり、もう辞めたいと思い詰めたこともあった
しかし、特待生としてこの高校に入学した私は、バスケを辞めるということは退学を意味する

中学生の時にバスケットの強い私立高校から勧誘され授業料免除で入学した私
ある時スランプ状態から抜け出せず、精神的にボロボロになりもう辞めたいとママンに泣きついた

ママンはコーチに、私がどれだけコーチの言葉に傷ついているか、
続ける自信をなくしているかを代弁してくれた

コーチは、「期待しているから言葉がきつくなった。才能をもっと伸ばしたいから
他の子より厳しくしていた」と
「でも、もうしたくない 辞めたいと思わせる程の厳しさはいかがなものか
娘は 今まで 弱音を吐かないし何にも言わなかったけど ここまで追いつめられて
よっぽど辛かったんやと思います」
と我がママンは言っちゃってくれたよ

しかし辞めるつもりで春休みを迎えた時、一緒にバスケットをしている仲間に毎日毎日
「頑張ろうよ~ 最後まで一緒にしようよ! お願い 」と皆に泣きながら説得され、
どうしても皆を裏切って辞めてしまう事ができなかった私

<もうどうでもいいや!ベンチ温め役でもなんでも友達が大事や コーチに何をいわれても
仲間とともに最後まで続けてみよう>と開き直った
それからも、厳しい訓練と叱咤、叱責

おかげでインターハイ出場もできた。私も近畿大会で5人しか貰えない優秀選手賞を頂けた
実業団やバスケットの強い大学から勧誘があった
でももう二度とバスケットはしないと決めた私は断った
私の過去の栄光はただの結果に過ぎない
あんなに好きだったバスケットはもう二度としたくないと思うようになってしまった
そして、親の薦めもあり医療の道を選んだ

そんな私だったのに、15年の時が流れ、とても楽しいと思えるバスケットを、
イイ仲間とともに出来たことが嬉しい




たった5年の日々だったけれど充実していた
今も地元に残っている仲間とは、時々ランチや、飲みに行ったりしてる

転勤族の人たちともメールや年賀状でお互いの近況報告等をしながら、会える日を
心待ちにしている
でも、高校時代が私にとって無駄ではなかったと思える今日この頃

皆が遊んでいるとき、あれだけ厳しい練習に頑張れたという自分がいたのは事実
若い時に、努力とか忍耐とかってなかなかできるもんじゃない
この頃の自分を褒めてやりたいと思う、今の自分

よく頑張ったね! それがその後の人生にとても役だってるんだよ

辛いとき、悲しいときにその頃の私を思い出し、頑張れるバネとなったんだよ
そして、こんなに図太い(身体も)私になりにけり・・・

ちょっとやそっとではへこたれん私。 人生色々ありますわ
これからの人生もなにがあるかわからない
でも今が幸せと思える私

私にかかわる、すべての人に感謝です
”人生に 無駄な苦労は なにもない”
悩みがないことが 幸福ではない
どんな悩みにも負けないことが 幸福なのである
自分だけの幸福ではない
人を幸福にできる人が
本当の幸福者なのである
(私の尊敬する師の詩)
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