びわこマラソン
今日は、第61回びわこ毎日マラソンでした 快晴
毎年このマラソンが始まるとあぁ~っもうすぐ春が来るとウキウキします。
優勝したのは、スペインのリオス選手 2位は日本の松宮選手
残念ながら、2時間10分をあと少しの所できることができなかった・・・
でも精一杯ガンバって2位になれて良かった
私は昔バスケット少女でした。
毎日、毎日コートの中でボールを追いかけておりました
中学校に入学して本当は陸上部に入りたかったのですが、なかったんです
仕方なく一番強かったバスケット部に入部。 かっこいい先輩がいたので
余計張り切って練習を頑張ったんです。
その甲斐があってか、めきめき上達 部員も多かったし伝統もあり
和歌山県(出身が和歌山です)ですべての大会で優勝
高校は、その将来性を買われてある私立の特待生として入学しました。
高校は中学のバスケとは雲泥の差でした。
中学は遊びに近いバスケ でも高校はそんなもんじゃありませんでした。
毎日コーチの怒鳴り声と、頬をぶたれて泣きながら”負けるもんか!”と
辛い練習に、チームメート達皆で励ましあい頑張りました
お正月も浜辺の民宿で合宿
早朝のランニングは足を取られる浜辺で何度も何度もダッシュ
”今頃、友達はおせち料理を食べてテレビでも見てるんだろうなぁ~”と
ちょっぴり何でこんな道を選んだのだろうと後悔したこともありました
辛いことに耐え頑張ればおのずと嬉しい事、楽しい事が待っています
インターハイ出場 近畿大会3位と数々の栄光を勝ち得る事ができました
でも一番楽しかったのは、カナダ、アメリカへ代表として皆と行けた事です
今から30年位前、高校生が2週間もカナダ、アメリカへ行けるなんて夢のようでした。
カナダのリッチモンド市と姉妹都市である和歌山市が企画したもので、
私は、背の高い美人のサリーちゃんという子のお家に1週間ホームステイしました
17歳だというのに、化粧してるし、車を運転してる
いったいこの国はどうなってんの??って思いました。
高校へは、自分で運転して通学、週休2日 週末は皆でローラースケートへ
私はまるっきり滑れないのに、色んな男性が「一緒にすべろう」と声かける
滑れないと英語で言えない! 無理矢理連れて行かれ、もうパニック状態・・・
へっぴり腰で「ノー!ノー!」と言う姿は今思い出してもおはずかしい
親善試合を6試合したのですが、身体がでかいだけで相手にならない。
圧勝で終わりました。しかも向こうの新聞に私が載っていると聞かされびっくり
サリーちゃんの高校の掲示板に私の大きな記事が貼られているではありませんか!!
でも写真はわかっても、記事は英語で何を書いてるのかよくわからない
日本へその新聞を持って帰り、英語の先生に訳してもらうと
”日本から来た小さなOOは、まわりの大きな選手をすり抜け、25点も得点した。
これだけの得点をした選手は今までいなかった”みたいなことを書いていたそうな
リッチモンドの地元の新聞であろう、片田舎だからこんな記事を載せてくれたんだと
思います。
でもすごく嬉しくて今も大切にしまっております
ホームステイが終わって帰る時、たった1週間だったけど、なかなか言葉も通じなかったけど、悲しくて別れが辛くて皆ポロポロなきました
肌の色が違っても、言葉が違っても心は通じるんだって感じることができました
若いときに良い経験をさせてもらったと感謝してます。
カナダを後にして、アメリカのサンフランシスコへ観光にいきました。
ゴールデンゲートブリッジを見たり、路面電車に乗ったり
とっても楽しい日々でした。
サリーちゃんと初めは文通をしていたのですが、英語がうまく訳せないし
書けない。練習も忙しくてだんだん返事が遅くなり、いつしか書かなくなりました
サリーちゃんごめんよう~~ ちゃんと返事書かなくて・・・
もしかしたら兄が今バンクーバーにいるから会えたかも知れないのにね
今頃言ったって遅いけどサリーちゃん、会いたいよう~~
どうしてますか?
”サリーちゃん 遠い昔の 思い出に”
昔の感傷に浸ってんと、はよ おやつちょうだい!!
腹減ってペコリンコやねんかぁ~ なんとかしてくれ~
毎年このマラソンが始まるとあぁ~っもうすぐ春が来るとウキウキします。
優勝したのは、スペインのリオス選手 2位は日本の松宮選手
残念ながら、2時間10分をあと少しの所できることができなかった・・・
でも精一杯ガンバって2位になれて良かった
私は昔バスケット少女でした。
毎日、毎日コートの中でボールを追いかけておりました
中学校に入学して本当は陸上部に入りたかったのですが、なかったんです
仕方なく一番強かったバスケット部に入部。 かっこいい先輩がいたので
余計張り切って練習を頑張ったんです。
その甲斐があってか、めきめき上達 部員も多かったし伝統もあり
和歌山県(出身が和歌山です)ですべての大会で優勝
高校は、その将来性を買われてある私立の特待生として入学しました。
高校は中学のバスケとは雲泥の差でした。
中学は遊びに近いバスケ でも高校はそんなもんじゃありませんでした。
毎日コーチの怒鳴り声と、頬をぶたれて泣きながら”負けるもんか!”と
辛い練習に、チームメート達皆で励ましあい頑張りました
お正月も浜辺の民宿で合宿
早朝のランニングは足を取られる浜辺で何度も何度もダッシュ
”今頃、友達はおせち料理を食べてテレビでも見てるんだろうなぁ~”と
ちょっぴり何でこんな道を選んだのだろうと後悔したこともありました
辛いことに耐え頑張ればおのずと嬉しい事、楽しい事が待っています
インターハイ出場 近畿大会3位と数々の栄光を勝ち得る事ができました
でも一番楽しかったのは、カナダ、アメリカへ代表として皆と行けた事です
今から30年位前、高校生が2週間もカナダ、アメリカへ行けるなんて夢のようでした。
カナダのリッチモンド市と姉妹都市である和歌山市が企画したもので、
私は、背の高い美人のサリーちゃんという子のお家に1週間ホームステイしました
17歳だというのに、化粧してるし、車を運転してる
いったいこの国はどうなってんの??って思いました。
高校へは、自分で運転して通学、週休2日 週末は皆でローラースケートへ
私はまるっきり滑れないのに、色んな男性が「一緒にすべろう」と声かける
滑れないと英語で言えない! 無理矢理連れて行かれ、もうパニック状態・・・
へっぴり腰で「ノー!ノー!」と言う姿は今思い出してもおはずかしい
親善試合を6試合したのですが、身体がでかいだけで相手にならない。
圧勝で終わりました。しかも向こうの新聞に私が載っていると聞かされびっくり
サリーちゃんの高校の掲示板に私の大きな記事が貼られているではありませんか!!
でも写真はわかっても、記事は英語で何を書いてるのかよくわからない
日本へその新聞を持って帰り、英語の先生に訳してもらうと
”日本から来た小さなOOは、まわりの大きな選手をすり抜け、25点も得点した。
これだけの得点をした選手は今までいなかった”みたいなことを書いていたそうな
リッチモンドの地元の新聞であろう、片田舎だからこんな記事を載せてくれたんだと
思います。
でもすごく嬉しくて今も大切にしまっております
ホームステイが終わって帰る時、たった1週間だったけど、なかなか言葉も通じなかったけど、悲しくて別れが辛くて皆ポロポロなきました
肌の色が違っても、言葉が違っても心は通じるんだって感じることができました
若いときに良い経験をさせてもらったと感謝してます。
カナダを後にして、アメリカのサンフランシスコへ観光にいきました。
ゴールデンゲートブリッジを見たり、路面電車に乗ったり
とっても楽しい日々でした。
サリーちゃんと初めは文通をしていたのですが、英語がうまく訳せないし
書けない。練習も忙しくてだんだん返事が遅くなり、いつしか書かなくなりました
サリーちゃんごめんよう~~ ちゃんと返事書かなくて・・・
もしかしたら兄が今バンクーバーにいるから会えたかも知れないのにね
今頃言ったって遅いけどサリーちゃん、会いたいよう~~
どうしてますか?
”サリーちゃん 遠い昔の 思い出に”
昔の感傷に浸ってんと、はよ おやつちょうだい!!
腹減ってペコリンコやねんかぁ~ なんとかしてくれ~
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