父の入院
8月の終わりに父が大腿骨を骨折して入院した
家の駐車場で、バイクを片付けようと押していて足を滑らせ
バイクの下敷きになったらしい
すぐに兄が救急車を呼んで和歌山の日赤病院へ運んでもらった
普通の身体なら近くの外科や、整形外科のある病院へ運んでもらうであろう
しかし父は肺気腫の持病があるため、手術となると麻酔が肺への負担になるので
「和歌山日赤に行ってほしい」と兄が頼んだらしい
入院した翌日が日曜であったので、相方と病院へ駆けつけた
父は、検査をしてからでないと手術が出来ないため
骨折したままベッドに寝かされていて、とても痛そうだった
早く手術してくれたらいいのに。。。と思ったが
検査が月曜で手術は水曜になると言うことだった
こんな痛い思いを後3日もガマンしなくてはいけないのかと思うと
かわいそうで、涙がでてきた
心の中で「ママン、痛みを和らげてあげてな!」と母に頼んだよ
父は痛みをこらえながら
「遠いとこ、来てもろてすまんなぁ~」と
自分のことより、相方に気を使っている
あたしたちがいると余計に気を使って痛みを我慢して
話をしようとするから、
「またくるからね!」と早々に引き上げた
そして、手術の日
久々に、電車とバスに乗って和歌山のなつかしい景色を見つつ病院へ行った
手術は、2時間少しで終わり、父はとても元気そうで安心した
しかし、麻酔が切れてきた1時間後くらいから痛み出した
傷の痛さもあるが、導尿しているのがとても痛いらしい
「はやく導尿の管を抜いてほしい」と看護師さんに言うが
「今日だけはガマンしてね」と言われ
「はい」と素直な父 その返事の仕方がとてもかわいい
でも、時間が経つにつれ痛さも増すし、持病の痰もいっぱい出る
そばにいても何もしてあげられない。。。(T_T)
3時間位経ってやっと、お茶を飲んでも良いと言われ
おいしそうに飲んだあと父は
「フ~ 生き返ったよ~」と嬉しそうだった
「もう、バイクは乗ったらあかんって事やな!」
と兄に諭されていた
今までも、「もう危ないからバイクは乗らない方がええで」と
ずっと言われてきたが、「大丈夫」と乗っていた父
バイクとともに50年過ごしてきた父
バイクで仕事に、パチンコに行っていた父
ほんの10年位前までは、ずっと母が後ろに乗りあちこち行っていた
仲良く2人乗りで出掛けていたあの頃がなつかしい
あたしも父の後ろに数え切れないくらい乗せてもらった
高校時代に足を骨折したときは毎日、高校までバイクで送迎してくれた
車には乗らなかった父
そんな贅沢な自動車なんて持てる時代じゃなかったのだろう
またお見舞いに行くからね~
母の1周忌までには退院して自分で歩けるようになってほしいな
家の駐車場で、バイクを片付けようと押していて足を滑らせ
バイクの下敷きになったらしい
すぐに兄が救急車を呼んで和歌山の日赤病院へ運んでもらった
普通の身体なら近くの外科や、整形外科のある病院へ運んでもらうであろう
しかし父は肺気腫の持病があるため、手術となると麻酔が肺への負担になるので
「和歌山日赤に行ってほしい」と兄が頼んだらしい
入院した翌日が日曜であったので、相方と病院へ駆けつけた
父は、検査をしてからでないと手術が出来ないため
骨折したままベッドに寝かされていて、とても痛そうだった
早く手術してくれたらいいのに。。。と思ったが
検査が月曜で手術は水曜になると言うことだった
こんな痛い思いを後3日もガマンしなくてはいけないのかと思うと
かわいそうで、涙がでてきた
心の中で「ママン、痛みを和らげてあげてな!」と母に頼んだよ
父は痛みをこらえながら
「遠いとこ、来てもろてすまんなぁ~」と
自分のことより、相方に気を使っている
あたしたちがいると余計に気を使って痛みを我慢して
話をしようとするから、
「またくるからね!」と早々に引き上げた
そして、手術の日
久々に、電車とバスに乗って和歌山のなつかしい景色を見つつ病院へ行った
手術は、2時間少しで終わり、父はとても元気そうで安心した
しかし、麻酔が切れてきた1時間後くらいから痛み出した
傷の痛さもあるが、導尿しているのがとても痛いらしい
「はやく導尿の管を抜いてほしい」と看護師さんに言うが
「今日だけはガマンしてね」と言われ
「はい」と素直な父 その返事の仕方がとてもかわいい

でも、時間が経つにつれ痛さも増すし、持病の痰もいっぱい出る
そばにいても何もしてあげられない。。。(T_T)
3時間位経ってやっと、お茶を飲んでも良いと言われ
おいしそうに飲んだあと父は
「フ~ 生き返ったよ~」と嬉しそうだった
「もう、バイクは乗ったらあかんって事やな!」
と兄に諭されていた
今までも、「もう危ないからバイクは乗らない方がええで」と
ずっと言われてきたが、「大丈夫」と乗っていた父
バイクとともに50年過ごしてきた父
バイクで仕事に、パチンコに行っていた父
ほんの10年位前までは、ずっと母が後ろに乗りあちこち行っていた
仲良く2人乗りで出掛けていたあの頃がなつかしい
あたしも父の後ろに数え切れないくらい乗せてもらった
高校時代に足を骨折したときは毎日、高校までバイクで送迎してくれた
車には乗らなかった父
そんな贅沢な自動車なんて持てる時代じゃなかったのだろう
またお見舞いに行くからね~
母の1周忌までには退院して自分で歩けるようになってほしいな
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