阪神大震災から13年・・・
13年前の今日、阪神大震災が起きました。
今日の関西テレビのアンカーという、ニュース番組で、
感動的な特集をしていたので紹介させてもらいます。
神戸大学に通っていた21才の青年の下宿が潰れ、彼は亡くなりました。
青年は、国連の職員になるという夢を持っていました。
そして、海外へ旅立つ時、母に手紙を渡しました。
こんな別れが待っていることなど、夢にも思っていなかった時です。
母に、感謝と敬意の言葉と、そして自分の夢の実現のため
大きく飛び立とうとしている希望に満ちあふれた手紙です。
あの大震災さえなければ、青年は今頃・・・
母は、息子を亡くし、ず~っと悲嘆に暮れふさぎ込んでいました。
この手紙を知った作曲家の方が曲をつけました。
作曲家は、無くした息子と同い年。
「生きたくても生きることが出来なかった人の分まで、
しっかり生きていかないとだめなんです。
息子さんは、ふさぎ込んでいる母の姿より、笑っている母の顔を
見たいに違いないから、元気をだしてほしい」と
100通以上のメールで文通のやりとりをして
今回初めて広島に住む青年の母のもとへ行かれました。
そして、コンサートで”うし君の手紙”を歌い母に聞いて貰ったのです。
作曲家の方のブログ”にこにこ新聞”で歌を聴くことが出来ます。
↓
うし君の手紙
「親愛なる母上様」 作詞:うしくん(加藤貴光)
あなたが私に生命を与えてくださってから、早いものでもう二十年になります。
これまでに、ほんのひとときとして、あなたの優しく温かく大きく、
そして強い愛を感じなかったことはありませんでした。
私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。
人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること……。
この二十年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。
そして今、私はこの翼で大空へ翔(と)び立とうとしています。
誰(だれ)よりも高く、強く自在に飛べるこの翼で。
私は精一杯やってみるつもりです。
あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、
力の続く限り翔び続けます。
こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。
また逢える日を心待ちにしております。
最後に、あなたを母にしてくださった神様に感謝の意をこめて。
翼のはえた“うし”より
「悲しみと、絶望を抱え息子の世界に浸っていたけれど
この曲で、やっと自分の世界を見られる様になりました。
そして、あれから初めてお正月におめでとうが言えました。」
と笑顔で話しをされていました。
震災で傷つき、今も苦しんでいる方が
少しでも元気になって貰えることを祈っています。
そして、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

今日の関西テレビのアンカーという、ニュース番組で、
感動的な特集をしていたので紹介させてもらいます。
神戸大学に通っていた21才の青年の下宿が潰れ、彼は亡くなりました。
青年は、国連の職員になるという夢を持っていました。
そして、海外へ旅立つ時、母に手紙を渡しました。
こんな別れが待っていることなど、夢にも思っていなかった時です。
母に、感謝と敬意の言葉と、そして自分の夢の実現のため
大きく飛び立とうとしている希望に満ちあふれた手紙です。
あの大震災さえなければ、青年は今頃・・・
母は、息子を亡くし、ず~っと悲嘆に暮れふさぎ込んでいました。
この手紙を知った作曲家の方が曲をつけました。
作曲家は、無くした息子と同い年。
「生きたくても生きることが出来なかった人の分まで、
しっかり生きていかないとだめなんです。
息子さんは、ふさぎ込んでいる母の姿より、笑っている母の顔を
見たいに違いないから、元気をだしてほしい」と
100通以上のメールで文通のやりとりをして
今回初めて広島に住む青年の母のもとへ行かれました。
そして、コンサートで”うし君の手紙”を歌い母に聞いて貰ったのです。
作曲家の方のブログ”にこにこ新聞”で歌を聴くことが出来ます。
↓
うし君の手紙
「親愛なる母上様」 作詞:うしくん(加藤貴光)
あなたが私に生命を与えてくださってから、早いものでもう二十年になります。
これまでに、ほんのひとときとして、あなたの優しく温かく大きく、
そして強い愛を感じなかったことはありませんでした。
私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。
人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること……。
この二十年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。
そして今、私はこの翼で大空へ翔(と)び立とうとしています。
誰(だれ)よりも高く、強く自在に飛べるこの翼で。
私は精一杯やってみるつもりです。
あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、
力の続く限り翔び続けます。
こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。
また逢える日を心待ちにしております。
最後に、あなたを母にしてくださった神様に感謝の意をこめて。
翼のはえた“うし”より
「悲しみと、絶望を抱え息子の世界に浸っていたけれど
この曲で、やっと自分の世界を見られる様になりました。
そして、あれから初めてお正月におめでとうが言えました。」
と笑顔で話しをされていました。
震災で傷つき、今も苦しんでいる方が
少しでも元気になって貰えることを祈っています。
そして、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

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